人がたくさんいる場所は精神が狂いそうになる。

病院に通うにも時にタクシーを使いお金がかかる。

 

自分が通う病院は地下鉄に乗るかタクシーに乗らないとたどり着けず、鬱でタクシーに乗るお金もない時は病院に行くにも一苦労で特にたまに降りて休憩を挟まないといけない。

 

普通の電車はある程度の広さがありラッシュを過ぎれば疎らになりまだ大丈夫だが地下鉄は狭くピークを過ぎたとしても一定の人が乗っている。

 

それが耐えられない。


病気が発覚してから良いことがない。リスクしかない。

 

知らなければよかったと後悔する日々だが、発覚しなければ自分はどこがおかしいんだ、言葉にうまく表せない人との差はなんだと悲観的になっていただろう。

 

アスペルガー双極性障害は天才病だと世間は言うがそんなものは限られた人の表面の一部でしかなくその症状が仕事や趣味とうまくマッチングしないと発揮されない訳でそれ以外は苦痛でしかない。

 

時にそのものを抱えながらうまく社会に溶け込んで生きている人もいるだろう。

 

自分はまだうまく社会に溶け込めていない。

 

14の頃から大好きな趣味がありこれを仕事にしたいと思い始め現在その仕事をしているが症状が邪魔をして力が発揮できず未だ皆の足を引っ張る厄介者だ。

 

うまく社会に溶け込けこみマッチングした一部の人にたまに憧れを抱くがマッチングした限りない一部の人でさえきっとどこかで苦労をし自分の精神を少しずつ犠牲にしながら生きているんだろう。

 

そんな何かを抱える人はチェスで例えたらポーンだ。

 

ポーンというは最弱な駒であるが個性的で大きな力を秘めたチェスではかかせない駒である。

 

チェスの中にはキングやクイーン、ナイトのような駒もいるが、この世の中も同じでキングやクイーン、ナイト、ポーンのような人がいないと成り立たないのだろう。

 

 

半年前、彼が出て行った時、19歳にして人生に疲れてしまい食べ物が口に入らず本気で自殺をしようとロープと練炭を買ったぐらいまで追い込まれた。

 

それぐらい生きる事を放棄しそうになっていた。

 

死ぬ前に過去を振り返った時、小学校は3年程、中学は3ヶ月、高校だけはしっかり3年間通え専門学校に進学したが冬になった頃、突然病気が悪化した。


「ああ、学校にもロクに行けず友達も少なく病気にのまれた薄っぺらい人生だった」と思い腑けたと同時に「せめて半年だけがむしゃらに頑張って20を迎え何か変わるのか?生きたいと思えるのか?」と。

 

そしてそれから半年経ち20になった今、仕送り、家賃、水道、電気代の支払いが勝手に止まりさらに飼っていた犬が病気になり大金の手術費がいる事になり生活費が無く死にそうになってた時に訪れた店で過呼吸になりそれがきっかけで事情を知った上で「俺の下で働け」と受け入れてくれたオーナーの下で働いた。

 

彼と別れて食べれなくなっていた自分を心配し一緒にいてくれた友達が友達を紹介してくれて友達が増え居場所が出来た。


皆で旅行も行った。


過去に比べたら一番友達が多い時なんじゃないかと思う。

 


ただ未だ昔と変わらず苦しいばかりで生きたいと思えない。

 

家族関係が悪く愛着障害で元々見捨てられ不安が強かったが彼が突然いなくなってさらに見捨てられ不安が強くなってしまった。

 

突然どうなるか分からない事を知ってしまったから先の見えない未来が怖い。

 

友達もそのうちいなくなってしまうんじゃないかと根拠のない不安ばかり湧いてくる。

 

 

安心できる場所が欲しいと思う反面、安心できる場所を作ってしまうとまたいつか消えてしまうと頭の中で意見がごちゃごちゃし始める。

 

苦しい。誰か助けて欲しい。

最近の私はとても苦しい。

 
家族、対人関係、仕事、金銭面、どれにおいても自分の容量がオーバーするまで追い込まれている。
 
よく友達に給料が良くて羨ましい、奢ってくださいと言われる。
 
実際は違う。
 
 
特に躁と鬱の波がある双極性障害は厄介だ。
 
 
躁の時はどれだけ働いてもストレスを感じずよく喋り常に興奮状態でイライラしたり怒るなどの気分の高まりで物を投げ壊し少しの睡眠時間で行動しむしろ動いていないと気が済まなくなる。
 
そして突然、鬱に落ちる。
 
鬱になると全く動けなくなり働けなくなる。
 
鬱は躁より例えきれないぐらい辛い。
外からする雑音でさえ頭痛がし太陽の日光、部屋の電気でさえ目に刺さり目を開けるのが辛く電気さえつけれない、起き上がる事もベッドから動くのも億劫で息をするので精一杯。
 
時に幻聴、幻覚が見えパニック、過呼吸になり泣き叫ぶ。
 
しかし解離性障害のせいで泣き叫んだ事も忘れる事がある。
 
寝ても覚めても自殺や死の事を考えタバコをすがるように吸っても足が底なし沼にはまっているように鬱から抜け出せない。
 
自傷行為をした時は頭がフワフワした感じになり心地が良くその時だけは生きている感覚と悩みが吹っ飛び体が軽くなる。
 
私には主治医が2人いるが1人は自傷行為をすれば即入院だと脅ししていないか確認するため自傷行為はできずずっと耐える。
 
生きている感覚が欲しい欲しいと強く思いながら耐えて耐えて耐えるだけの時間が続く。
 
自傷行為ができないためにがむしゃらに吐きそうになるまで食べ苦しい状態を作り追い込むか全く食べず空腹で餓死してやろうという二択を自分の体が勝手に摂食障害にする。
 
 
最初の病気が発覚してから合併症が増え辛い思いをし10年以上治療しても結局ここまでしか回復していない。
 
回復したと言えるのか、回復していると言えるのかすら分からない。
 
何度強く変わりたいと思った事か数え切れない。
 
体調の良い日に体力が持つだけ働き稼いで動けなくなる事も考え2匹分の犬の生活費と自分の生活費を貯金をし服を買う事で自分の欲求を満たし安定的な生活と精神を守るために必死だ。
 
そんなこんなで自分は自分で精一杯なのだ。
 
皆はそれを知らない。そんな自分を他人に見せて裏評価が気になり見せられない。
 
この世は怖い。病気で病んだ人を他人は簡単に言葉を作りメンヘラなどという言葉投げつけ苦しんでいる人を馬鹿にする。
 
表に出せず苦しいが健常者のように見せた方が何も思われず楽なのかもしれない。
 
知らないから平気で給料が多くて羨ましい、奢ってと発するのだ。
 
そして奢るのは嫌だと言うとケチだと文句を言い始める。
 
健常者に見られていると安心する一方でお前らに何が分かるんだという気持ちばかり膨らむ。
 
皆はお金が尽きれば頼れる家族、お金の貸し借りができる友達の存在が少なくともいる。
 
自分にはその存在がいないに等しい。
 
自分が友達を信用していないのもあるだろうが、必ずしも貸したお金が返ってくる保証もない。
相手を疑いながらお金の貸し借りをしたくもない。
 
 
 
我が家の本来、大黒柱である父は私の学費貯金を勝手に使い果たし仕送り、連絡が途絶え、私たち家族という存在が嫌なのか実家の思い出の物を全て壊し壁に穴を開け、しまいには他の家庭を持っている。
母は趣味といいつつ生活費が足りないため習い事の先生をやり兄は大学の学生でバイトで自分の生活費をまかなっている。
 
過去に同棲していた彼もそうだ。
愛着障害である私は見捨てられ不安が強く裏切らない絶対的な家族が欲しく、彼と犬を2匹飼った。
私の症状が悪化し学校に行けなくなってしまった。彼が出て行く2週間前に「もう辛いなら学校をやめよう。自分が卒業したら誰も知らない場所でもう1度2人でやり直そう、結婚しようね」と言ってくれ安心し症状が安定した矢先、出かけている間に突然一緒に生活していた所から犬だけ残し出て行った。
 
あまり弱音を吐かず泣かなかった彼は授業時間が長く厳しい学校に通いながら短い空き時間にバイトをし、自分の生活費を稼ぐのに精一杯でその上、2匹の犬の世話をし病気で感情のコントロール不能になり荒れ狂う私の扱いが分からずきっとずっと苦しくて不安で疲れてしまい回復するのかも先の見えない私の事がずっと重荷だったんだろう。
 
私が頼りたいと思う人は皆自分の事で精一杯なのだ。
 
半年前の私は彼が生き甲斐で全てだった。
 
家族になるものだと思っていた。
 
その関係を病気の自分が自分で壊した。
そんな自分が消えてしまえばいいのに。
 
ただ生きるとしても病気という足枷が付きまとい一生この状態だと思うと苦しい。
 
なぜ生まれたのか、不思議でたまらない。
 
 

何を考えているのか不思議な人は魅力的だ。


どれだけ観察してもアクションを起こしても脳内の開け口の少しの隙間でさえどこにあるのか分からずこじ開けたいのにピクリともしない。

そんな人は何かに例えれば蛇に似ている。

蛇も自分の欲求で食べ物を食べ、排便しアクビをするが何を考えているのかさっぱりだ。

私はそんな蛇になりたい。